ファジーロジック解散後ドラマーとして携わってた2バンド、
「アザナ」と「ニアフレンズ」
2バンドとも曲も定着してライブ、リハーサルの日々。
個人的にGang3というミュージックバーでホストドラマーとして雇ってもらえるようになり、職業:ドラマーの一歩を踏み出した。
かと行ってその時は旅費交通費かはバンドに出してもらってたが食費などはこっちでまかなっていたので収支はトントン、良くてプラス。
今でこそ髪色が派手になっているが僕には暗黙のルールが存在していて、
「音楽でお金がもらえるようになるまでは髪を染めない」
と言うルールだった。
バンドの時はCD収益などは結果的にツアー交通費などに消え、ほぼ手元に残らなかったが
一人でサポートドラマーとして活動していく分には旅費も出してくれるしバンドやってる時よりお金は手元に残った。
アザナは月に1,2回ペースでのライブだったがニアフレは多い時で月10本というかなりの頻度で、なおかつツアーで車を使うとなると僕しか免許を持っていないので僕が運転していた。
サポートドラマーとして生きていこうと決めたその時は非常に充実していた。
時を同じくして、旧友でありギタリストの戸梶和希がアルバムを出してレーベルメイトと東名阪ツアーをすることになりドラムとして参加させてもらった。
その時一番仲が良かった和希と一緒にツアーを回れたのは本当に良い思い出です。
そして彼はのちに僕に対して多大な影響を与える人となります。
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