怒涛の日々だった。
ファジーロジックの解散が決まって喪失感とともに、もともとプレイヤー志向が強かった僕は様々な場所でドラムを叩くことができるという期待に胸を弾ませていた。
専門学生時代から曲とか作ったりしていたが、現存するバンドで認知度を上げることを選択。
もっと早くからいろんな場所でドラムを叩きたかったけどバンドでのツアーや音源リリースバンド中心の生活だった。
解散と言う決断に至ったがドラマーとして自由にできる、そんな気持ちだった。
そして解散の知らせを知った周りのミュージシャンから誘いがあり、
主にV系バンドの「アザナ」、ギターロックの「ニアフレンズ」でドラムを叩くようになった。
バンドが解散したこともあり主な選択肢として、
新たにバンドに加入するか
サポートドラマーとしていろんな場所で現場をこなすか
という選択に迫られた。
1年間様子をみさせてくれと双方にお願いしていろいろな場所に連れて行ってもらいった。
アザナはいつも中津のスタジオでリハーサルしていて、ライブがある数日前にサクッとリハーサルをすると言うのが常だった。
世間話もするしリハも必要な時間しかとらなく僕にはすごく居心地の良い空間でした。
ニアフレンズも初めて同年代と演奏ができて気兼ねなくコミュニケーションは取れるけど、プレイ中はピリッとしてて良い刺激でした。
主にこの二組でドラムを叩くことが多かった。
このままどちらかのバンドに入るのも悪くない、そんな気もしていたが僕の心が着ることを待ってくれていたのでじっくり考えながら日々を過ごした。
それと同時に僕はソロアルバムを作ろうと考え始めていた。
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