2020年10月13日火曜日

2016年ごろからアルバムを発売するまでのお話⑤

なんか夜寒いけど昼間は暑いのが秋なんですかね、あんまり秋って感じがしないです。🤣

皆様いかがお過ごしでしょうか?気温の変化が激しいので体調にはくれぐれもお気をつけください。

前回はソロアルバムを決意するところまででした。※パート④を見てください🐃

今回はその続きからご覧ください。


 アメリカから帰国。

僕は2バンドのサポートがなくなると思ったんですが、意外にもサポート代をもらって続行となりました。

金額は伏せますがええランチをその日三食食べれるぐらいの金額です、決して多くはありませんが付き合いもあったので宣伝やと思ってその値段で受けてました。

サポートドラマー人生のスタート、そしてアルバム作りの第一歩を踏み出しました。

作曲自体は昔からやっていたのですが、10曲分いいと思えるのをそろえるまでに時間がかかります。(まあ自分の問題ですが🤣)

その年の年末にはアルバムを出すつもりでセコセコと楽曲のネタをためていました。

その後サポートでCOMING KOBE出演したりMINAMI WHEELやKANSAIROCK SUMMITに出演したり、ドラマーとしてもいい舞台に立たせていただきました。

2バンド以外からはそこまで多く声はかからなかったですが🤣

色々いいイベントに出さしていただきました。

ここまで聞くと順風満帆に聞こえるんですが、この時の私は人にあわせていきていたような気がす。

自分がしんどくないペースで生きれていなかった、もちろんフェスなんかで出してる時は確変起こってるんで投資してなんぼですけどね。

アザナはみなさん僕より年上で大人、まあ月1,2回ってこともあってかギャラはしっかりいただいてたんですが。

ニアフレンズは最初数回のみ支払われてから支払いが滞っていました。

リハでは作曲を手伝い肝心のそのリハにギタボは来ない、僕が睡眠不足のなかいってもそういうことは多々ありました。

しかもかなりの回数です、普通ありえないですね。

自分のお金は自分で捻出しないといけないですから、ライブ終わって夜勤みたいな日も増えていきました。

でも僕のポリシーとして飛んだりすることはありえないと思っていたので、決まったスケジュールはこなしていました。

二アフレのスケジュールを断ることが増えていくと周りに僕ほど叩ける人がいなかったとバンドから説得されました、メンバー候補は探してたみたいですが。

ですが、僕もしびれを切らしその年の秋頃ギャラを支払わないとやめると言いました。

その言葉に焦ったのかなんとかそれまでの溜まりに溜まったギャラは支払われ、僕もサポートの仕事を積極的に受けたいと思っていたので改めて受けることにしました。

もう1つ続ける要因としては、こーしとたいがとは仲は良かったのでこの子たちの助けにはなりたいという一心で続けることにしました。

ただこの決断はソロアルバム完成を長引かせる要因ともなるのです...

⑥へ続く

〜〜〜〜〜

後日談

こーしとたいがは二アフレを離れています、僕は二アフレで会ったのが最後でそこから連絡も途絶えていたのですが偶然の出会いがあり先日3人で会食しました。

二人も被害者だったようです、そのことがはっきりして良かった。

今は僕と同じく自分がやりたいやり方、ペースで人生を歩んでるそうで一安心しました。


組織に属すると集団心理が働いたりしますが、自分の気持ちとも対話してください。

紙にじぶんの今思ってることを書くと客観視できるのでぜひやってみてください。

自分と向き合ってどう進むか、答えを出しましょう。


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