2020年10月14日水曜日

2016年ごろからアルバムを発売するまでのお話⑥

 とうとうパート6まで来てしまいました...

昔はブログ書いてたし文章の感じも読みやすかったと思うんですが今どうでしょうか?🤔

物書きのリハビリも兼ねて、ブログを更新してなかったりHPちゃんと更新もできてなかった忙かった空白の日々を綴ってます。

結構色々やってたんやけどね、ほんとに忙しかったんだ...

こうして長々と綴れる時間ができたのは僕にとってはプラスなことだと思うので、興味を持ってくださる方ぜひお付き合いください。


前回はギャラ未払い&予定飛ばしという人生で逢いたくない出来事トップクラスに入るであろう出来事をお送りしました。

ここからはどうなるやら,,,では続きをどうぞ。


半年にも及ぶギャラ未納からその間のお金を支払われ、お金をもらえる以上真摯に向き合おうと決意をしましたが、再び悪夢はやってきます。

ライブ本数自体は落ち着いてきていたのですが、再びギャラ未納の事態に。

その時はSNSとかで呟くのもどうかなぁと思ってたんですけど、周りには愚痴ってました。

というか愚痴らないと精神保てない状況、

交通費とかもこっちで先払いすると返ってこない可能性があるのでとってもらうことを前提にやり取りをしていました。

忙しさとギャラの事で頭がいっぱいになり一旦ソロアルバムの構想は止まってしまっていました。

これではいけないと、アルバムに注力するためバンドサポートを受けない方向に考え始めていました。

ただライブは前回お話しした通りこーしとたいが、お客さんのことを考えスケジュールが少しずつ埋まっていきます。

そして意を決してギャラ云々ではなく「アルバム制作の時間が欲しいから」と、やめる方向で話をしましたが"ギタボ"の説得で関西での地域限定サポートという話に落ち着きました。

ほんとはこのタイミングでやめていればもっと早くアルバムができたかもしれません、アルバム制作にあたるちょうど一年前ぐらいのお話です。

ギャラなどもこの話をしてからたいががくれたりしていましたがそれはポケットマネーだったそうで、肝心の”ギタボ”はそれをちょろまかしていたそうです。

名古屋でこんな出来事がありました。

その時もギャラ未納だったんですが”ギタボ”は僕に新しく買った靴を見せて感想を求めました、どういう神経なんでしょう。

あと下北沢でもありましたね。

ちょうど真っ赤かに髪を染めた時なんですが、周りのバンドに対して

「金払ってるのに勝手に髪染めてきてん」

もらってないけどなぁ。

もらってないしそもそも囲ってるわけでもないのに自由やろっていうね。

まあ愚痴はここまでにしておいて、とにかく僕がブログ書いてなかったりHPに上げれないぐらいのペースでライブしてた時はこんな出来事があったんです。

人を呪わば穴二つですし、べつにこのことを理由に復讐なんて考えてもいませんが確実にそいつより売れたいです。

醜い復讐心はは別にアルバムにはこもってませんが、アルバムを完成させるための原動力にはなりました。

その後関西だけになりライブもグンと減り、やっとアルバムに注力する時間ができたのです。

2018年半ば

2019年にアルバムを出すことを決め、先駆けとなるシングルに入れる曲の制作に取り組みました。

昔からあっためていた曲と、新曲を2曲作り3曲入りのシングル「Prototype」を発売します。

そのころにはGang3で週に1,2回のミニライブショーを実施、バーで働いてるミュージシャン個人が目立てるような工夫を考え実行し始めました。

ちょうどシングルを出してまもない頃に入っていた二アフレの予定を全て断って、新たな一歩を踏み出しました。

その頃には自分は雇われではいたくない、という思いでアーティストとしての一歩を遅ればせながら踏み出したのです。


今回はこの辺で、次回はいよいよアルバム「LUCY」制作までのお話です。


ps.

長々とお付き合いいただきありがとうございました、

今回はちょっと愚痴も入ってますが全て事実です。

"ギタボ"はホラ吹いてるそうですしぼくのことをどう言ってるかは知りませんが今回のことが真実です。

でも別にとがめる気はありません、僕も弱かったから。

自分自身を強く持ててなかったことが今回のことを招いたと思ってます、

これからは強く生きる。

今は自分を主張すると糾弾、非難されるかもしれません。

ですが、本当に自分の求めてる道が正解と思うなら迷わず突き進みましょう。

生意気ですいません、最後までご覧いただきありがとうございました、次回もよろしくお願いします。

0 件のコメント:

コメントを投稿